はいけい ぼくの

夜だね。こんばん星は見えません。


小学校2年生のときのこと。
それってぼくらの出会うずぅっと前のことだけどきみにはそうぞうしてほしいんだ。
考えてみて。
七五三のあとにかみの毛をばっさり切ったくるくるのぼく。
ぼくは小学校2年生の生活の時かんに手がみのべんきょうをしました。
かわいらしいびんせんにきのうのテレビのことをいっぱい書いて、ふうをして、じゅうしょと名前をまちがえないようにふうとうに書く。
ただそれだけのことにぼくのむねはいっぱいでした。


小学校6年生にもなると文通あいてができました。
2年生の時とはちがう、ちゃんとした文通あいて。
今考えると小金井なんて近いけど、そのころのぼくには北海道も同じだった。
会えないものは、会えないんだ。


直に僕は君と出会う。
その頃、お互いがよく遊んでいたという街のことを僕は時々思う。
僕と君は出会う前に何度もすれちがっていたかもしれない。
もしかしたら、お互いに別の相手とデートしていたときにすれちがっていたかもしれない。
  そう思うとくすぐったいような変な思いを抱えつつくすくす笑ってしまうんだ、つい。


時折あなたに手紙を渡すようになったのはもっと会えない時間を会える時間に変えていけたらいいのではないかと思ったからなのです。
趣味や特技が私達を埋めていくのではないでしょう。
もっと違う何か。
例えば会えない時間にあなたのことを思いつつ仕事をするときなんて、少し微笑ましい気持ちになるのです。
じゃ、また。


階段を急いで登る今きみははいけいぼくのキュートナをさけぶ


追伸 「ぼくのきみ」だとつけあがりすぎているし、「ぼくのこいびと」だと少し照れてしまうので、「はいけい ぼくの」でとめました。
私の関係がある人ということには変わりがないので、いいでしょう?


※参考文献 荒井良二「ぼくのキュートナ」

ぼくのキュートナ

ぼくのキュートナ


ケータイ短歌の現場より(11) ケータイから見る短歌コミュニティ...2ちゃんねる、mixi、itokioの比較

パソコンをもっていなくても、ケータイからインターネットが見られる。便利な世の中になりました。いわゆる「ケータイ歌人」と呼ばれる世代は、このサービスの恩恵をうけた第一世代と重なります。もちろんパソコンに比べると画面は小さくて、機能もだいぶ制限されるのですが、ケータイのいちばんの利便性は、その名の通り「携帯できる」こと。旅行中でも、移動の電車の中でも、トイレの中でも(笑)、気になった情報をすぐに検索することができるんです。トイレでケータイする人、結構多いみたいですよ〜。
「勝手サイト」については以前の記事でも書きましたがソフトバンクケータイにyahooボタン*1がついてから、それまでケータイキャリアお奨めの「公式サイト」しか知らなかった人にも、だいぶ認知度が上がってきたのではないかな、と思います。そう、ネットを使いこなすには、まず検索サイトをブックマークするところからですよね*2


さて、インターネットの世界には、たくさんの人がアクセスする大きなコミュニティがいくつかあります。
有名なところでは「2ちゃんねるhttp://www.2ch.net/)」「mixihttp://mixi.jp/)」など。
2ちゃんねる」はテーマごとにカテゴリ分けされたスレッド掲示板が集まった巨大サイト。参加形態は基本的に匿名で、スレッドに書き込みをしていきます。「mixi」は招待制のSNSで、自分のプロフィールを提示し、興味のあるジャンルの「情報」や、友人→友人の友人、などの「人」をリンクしていくシステム。こちらは「2ちゃんねる」とは間逆の、パーソナライズなサイトとなっています。
どちらもケータイから参加・閲覧が可能です。
全体の大きさから比較するとささやかすぎるものではありますが*3、それらの中には短歌のコミュニティもあります。面白いことに、いくつかのサイトを比較していくと、その「匿名度」と作られる短歌の雰囲気が、コミュニティによってぜんぜん異なるものであることが見えてくるんです。


上記2サイトはパソコンからのサービスがメインですが、ケータイにも「2ちゃんねる」に似た形式の匿名掲示板サイトがあります。サイト名は「itokio(http://itokio.com/)」。
「itokio」はケータイ専門の掲示板サイト。パソコンからは閲覧のみで書き込みはできません。「2ちゃんねる」が純然たる匿名性(名前を伏せるという意味で)を重んじる風潮であるのに対し、itokioの特徴は固定ハンドルネーム(コテハン)を歓迎する傾向にあるのが特徴です。
こちらには「短歌」を冠したカテゴリはありません。「コトバ・詩・名言」という掲示板に、何件か短歌のスレッドが存在しています。


PCサイトとケータイサイトでの比較、匿名→ハンドルネーム→プロフィールを持つSNSでの投稿歌の比較。長くなりそうなので次回に、具体的に短歌を引用して読み解いてみようと思います。

ひとりみた夕焼けきれいすぎたから今日はメールを見ないで眠る(小島なお

歌集 乱反射

歌集 乱反射

大人びたうたと幼い口調のうたが揺れる、はたちの歌集です。



*1:yahoo http://www.yahoo.co.jp/

*2:ちなみに、google もケータイ対応されています http://www.google.co.jp/

*3:この「サイト全体:短歌コミュ」の比率が、一般人の短歌の認知度と考えると、短歌がいかにマイナーなジャンルかわかってもらえるかと思います

ぽえざる行ってらしたのよ

さる10/7に開催されたポエムバザール(通称「ぽえざる」)に『歌クテル』代表(?)として行っていたりっとさんのぽえざるレポートです〜。りっとさんありがとーー!!

http://yaplog.jp/triptych/archive/10

短歌とチェスのそれほど親密ではない関係

手詰まりのチェス放置してベッドへと雪崩る僧正(ビショップ)と騎士(ナイト)のように/松野志*1

Too Young To Die―松野志保歌集

Too Young To Die―松野志保歌集

現代短歌最前線新響十人

現代短歌最前線新響十人


しばらく前にiMacを買ったらチェスのソフトが入ってたんですが…


勝てない…
何度やっても勝てない……
強すぎる…
オレが弱いのか……
ていうか、両方か…


ウィキィペディアの「コンピュータチェス」の項目*2によると、もはやトップレベルは人間より強いのね…。
ケータイアプリのなら、ものにもよるけど、楽勝なんだけどなぁ…。
おすすめは「チェスマスター」というアプリ。レベルも選べてなんだかんだと機能充実で315円はむちゃくちゃお得!!グラフィックは弱いけど。Windows版やゲームボーイアドバンス版もあるみたいです、あとスーファミ盤も。


そんな中、『マンガでおぼえるチェス入門』という本を発見。

マンガでおぼえるチェス入門

マンガでおぼえるチェス入門


この本に出てくるキャラクターが「亜依ポン」と「辻ののみ」…。ダブルユーなのね…。2002年発売なのね…。
…で、思い出すのは、


加護亜依と愛し合ってもかまわない私にはその価値があるから。/斉藤斎藤


この歌って、詠まれた時と現在では歌意が変わっちゃってるんですよね。そういうのって面白いよなー、と思います。時代を超えて永遠の価値を持つばかりが良い歌ではあるまい、という好例でしょう。多分、斉藤斎藤さんはそういうのもふまえて確信犯的に詠んだのだと思うし*3。まさか、ダブルユー的でギャルル的な結末は予想してなかっただろうけど(笑)


それはさておき、チェスがもうちょい強くなりたくて、ケータイでチェスマスターの中級とやり合ったり雪崩たりしている小春川英夫です。


あと、


水の上に薔薇羽搏けよ、チェス盤の騎士は倒れよ、わが誕生日/喜多昭夫


こんな歌が『短歌ヴァーサス』の10号に載ってましたが…

短歌ヴァーサス (No.010(2006))

短歌ヴァーサス (No.010(2006))

短歌ヴァーサス』、11号で休刊だそうですね。残念です。

*1:()内はルビです。

*2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9

*3:もともといろんな意味での本歌取りですし(桟橋で愛し合ってもかまわないがんこな汚れにザブがあるから/穂村弘)。私としては、「桟橋」→「ザブ」はつながりませんが、「がんこな汚れにザブがあるから」→「私にはその価値があるから」はCMのコピーということでつながります。多分これは、浅草キッドやクロちゃんがボールドとつながらなくなるようなものなのでしょう…違うかな?

イベントなどの告知

以前A.Iさんから告知がありましたように(id:betsuuta:20070908)、10/7の第7回ポエムバザール(通称「ぽえざる」)と、11/11の第6回文学フリーマーケット(通称「文フリ」)に、本誌『歌クテル』が参加します。お気軽にお越しくださいませ。文フリは多分私も店番してます。


そして、ぽえざるはいよいよ明日(!)なのですが、『歌ってる?』からは『歌クテル』3号会員のりっとさんのレポートにリンクを貼らせてもらう予定です。文フリレポートは当『歌ってる?』に掲載予定。お楽しみに。


てなわけなんですが、文フリにはなぜか私、小春川英夫の個人誌が出る予定です。…いいのか…?
予定価格は100円、内容は…秘密(笑)。オール自家製本というめちゃくちゃハンドメイドな冊子で、現在鋭意製作中です。『歌クテル』を買うついでにでもお買い求めいただけるとありがたいです、はい。


あと、いままで「号外」としていたカテゴリーを「増刊号」に変更しましたので、ご注意ください。



love your life

最近、太宰治が太田静子に宛てた手紙を読んだ。
太田静子は、太宰治の代表作である『斜陽』の原型、と言われる『斜陽日記』の作者であり、歌人でもあった女性。そして太宰の愛人の一人である。現在ならば作家、太田治子の母、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
歌人としては『襟衣の冬』という歌集を出している・・・ようなのだけれど、まったく内容がわからずじまいで・・・。1首でもご存知の方、いらっしゃいましたらぜひご教授くださいませ。


それはそうと、この手紙。
1946年の1月11日に「拝復」の形で静子に宛てられたものなのだが、『え?よろしいんですか、太宰さん?』・・・と言いたくなるような内容もちらほら見受けられる。
「いつも思っています。正直に言おうと思います」なんて、ちょっとロマンチックなことを冒頭で言い出したかと思えば、手紙の途中では、「暇なので恋愛でもしようかと思って、ある人をひそかに思っていたら、十日ばかりで飽きた」だの、そんなことを仮にも自分の愛人に言うのか・・・と思ってしまうようなお話も。
他にも「一万円ちかくタバコを買って、一文無しになりました。一番おいしいタバコを十個だけ、押入れの棚にかくしました」だの、そんなことでいいのか!と言いたくなるような内容がつらつらと。
1946年は終戦の翌年、昭和21年のこと。確かにタバコは貴重だったはず・・・。だが、それ以前に終戦直後の一万円という大金をタバコにすべて使うというのはいかがなものなのか。


でもこの手紙、本当に本当に素晴らしい。
手紙の結びに、太宰治はただ一言、それも突然「コヒシイ」とだけ記し、そこで筆を置いているのです。「お元気で」などの言葉もなく、日付もなく、署名もなく、ただ一言だけの、「コヒシイ」
本当にそれだけ。それ以外は何もなく、そこでぷつりと途切れるように終わる手紙。
でもきっと狙って書いたわけではなく、正直な筆と静子への思いが自然とそうさせたのだろう。それが何よりも、読む人の心を打つ。
残念ながら、この手紙に対する太田静子の返信も、先に太宰に宛てて送られていたはずの手紙も見つけられなかった。だが彼女は歌を詠む人だ。きっと、心の中で太宰への思いを歌にしたのではないだろうか。太宰治が作家として、「コヒシイ」の一言に彼女への思いを込めたとするならば、歌詠みである静子には、その「コヒシイ」という言葉に対する返歌を詠んで欲しい。いや、きっと詠んだのではないだろうか。それはきっと形を変えた、でも二人の間に交わされた立派な相聞歌だ。・・・思わず、そんな想像をしたくなる。


太宰治の「コヒシイ」に敵うほどの、手紙・・・秋の夜長にそんな短歌を詠むのもいいかもしれない。