数学的短歌解剖講座

数学と短歌。
今までこの二つを結びつけて考えたことはありますか?
難しい数字や記号でいっぱいの数学*1と、文学である(といわれる)短歌。比べようって言っても、どうも両極端な気がするのが普通だと思います。
でも、やってみましょう。あえて意味のなさそうなことをしてみるのもまたよし、です。
まず・・・短歌は31音。この31を素因数分解してみましょう。・・・はい、できませんよね?すごく簡単なことですが、31は素数、です。
・・・では5・7・5・7・7の5と7ならどうでしょう。はい、これも素数です。
つまり短歌は素数の集合体みたいなものといえるかも知れません。おまけに「5」と「7」の二つは、双子素数でもあります。


素数は1とその数でしか割ることのできない自然数
そして双子素数は、差が2つの素数の組。もっとも数の近い素数の組、ということ。


なんだか・・・こうして挙げてみるとすごく不器用な感じがしませんか?
自分以外は1つのものとしか交われず(割れず)、一番近しいもの(5、7)ともけして接することも、互いに割り切れることもない。それが31という数字であり、短歌を構成する数字である。・・・そんな風に思うと、「なんとなく孤高の歌人っぽくない!?かっこいいかも・・・」なんて思ってしまう私はバカでしょうか(笑)


自分の詠んだ歌にたいしては結局自分が一番の理解者であったり、共感者になってしまうことはよくあること。交われない、割りきれないのもただ数字が素数であるということ以上に、短歌の真理なのかもしれません。
自分が一番の理解者、になってしまうのは時にはただの独りよがりでもあります。ですが、今ここではその行為の良し悪しではなく、ただ数字が見せてくれた不思議を、単純に「なんとなく歌詠みっぽいと思いません?」ということだけを楽しんでおきたいと思います。


なぜ私が今回、苦手な数学などを持ち出したかというと、『数学のできないものに、いい小説は書けない』という言葉を目にしたからです。これは芥川龍之介の言葉といわれています。小説と短歌の違いはあれど、芥川さんほどの人(この方は俳句も短歌も上手い)に、そう言われるとちょっと数学的なことにも挑戦してみたくなりますね。
余談ですが、前回太宰治の恋文について、小文を書かせていただきましたが、芥川が後の文夫人に送った告白の手紙も名文です。読んでいるこちらが恥ずかしくなってしまうほどのストレートさです。女性側としてはちょっと羨ましいかも?
ちなみに、『芥川龍之介 文ちゃん』で検索をするとじゃんじゃん出てきます。これから恋文を書かれるご予定のある方、そしてプロポーズされるご予定のある方などいらっしゃいましたら、ご参考にされてはいかがでしょうか?


「孤高の歌人」と書きましたが、ネット歌人と言われる人間もまた、そうであるかもしれません。帰属するところなく、ただ歌を詠み、思いのたけを歌う・・・。たとえ、結社や同人誌、サークル的な仲間をもっているとしても、やはり作歌活動は『一人で、地固めを』するように、黙々と続けるものではないでしょうか。
だからこそ、ネットを介してでも出会った縁は大事にしたいと思いますし、大事にしなければならないのだと思います。一つ一つが糧であり、自分自身を大きく成長させてくれるものだと思っています。
この「歌ってる?」も私にとってひとつの縁であり、私にこの場を与えてくださった方や、読者の皆様には本当に心から感謝しております。
この回を持ちまして、私の連載は終了となりますが、どこかでまた「成宮たまき」の雑文を目にすることがございましたら、その時はどうか、ご笑覧いただければ幸いです。


短い間でしたが、本当にありがとうございました。



成宮たまき

*1:私にとって