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最近、太宰治が太田静子に宛てた手紙を読んだ。
太田静子は、太宰治の代表作である『斜陽』の原型、と言われる『斜陽日記』の作者であり、歌人でもあった女性。そして太宰の愛人の一人である。現在ならば作家、太田治子の母、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
歌人としては『襟衣の冬』という歌集を出している・・・ようなのだけれど、まったく内容がわからずじまいで・・・。1首でもご存知の方、いらっしゃいましたらぜひご教授くださいませ。


それはそうと、この手紙。
1946年の1月11日に「拝復」の形で静子に宛てられたものなのだが、『え?よろしいんですか、太宰さん?』・・・と言いたくなるような内容もちらほら見受けられる。
「いつも思っています。正直に言おうと思います」なんて、ちょっとロマンチックなことを冒頭で言い出したかと思えば、手紙の途中では、「暇なので恋愛でもしようかと思って、ある人をひそかに思っていたら、十日ばかりで飽きた」だの、そんなことを仮にも自分の愛人に言うのか・・・と思ってしまうようなお話も。
他にも「一万円ちかくタバコを買って、一文無しになりました。一番おいしいタバコを十個だけ、押入れの棚にかくしました」だの、そんなことでいいのか!と言いたくなるような内容がつらつらと。
1946年は終戦の翌年、昭和21年のこと。確かにタバコは貴重だったはず・・・。だが、それ以前に終戦直後の一万円という大金をタバコにすべて使うというのはいかがなものなのか。


でもこの手紙、本当に本当に素晴らしい。
手紙の結びに、太宰治はただ一言、それも突然「コヒシイ」とだけ記し、そこで筆を置いているのです。「お元気で」などの言葉もなく、日付もなく、署名もなく、ただ一言だけの、「コヒシイ」
本当にそれだけ。それ以外は何もなく、そこでぷつりと途切れるように終わる手紙。
でもきっと狙って書いたわけではなく、正直な筆と静子への思いが自然とそうさせたのだろう。それが何よりも、読む人の心を打つ。
残念ながら、この手紙に対する太田静子の返信も、先に太宰に宛てて送られていたはずの手紙も見つけられなかった。だが彼女は歌を詠む人だ。きっと、心の中で太宰への思いを歌にしたのではないだろうか。太宰治が作家として、「コヒシイ」の一言に彼女への思いを込めたとするならば、歌詠みである静子には、その「コヒシイ」という言葉に対する返歌を詠んで欲しい。いや、きっと詠んだのではないだろうか。それはきっと形を変えた、でも二人の間に交わされた立派な相聞歌だ。・・・思わず、そんな想像をしたくなる。


太宰治の「コヒシイ」に敵うほどの、手紙・・・秋の夜長にそんな短歌を詠むのもいいかもしれない。