かんたん短歌という爆弾の作り方〜短歌をはじめたわたしのために ver.0.2


「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」/穂村弘


これを引用したかったので、前回(ver.0.1、id:betsuuta:20070127)の冒頭の文になったところもあるわけですが、それはさておき。
今回は『短歌という爆弾-今すぐ歌人になりたいあなたのために-』を読んだ私の話をつらつらと。*1

短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために

短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために


九官鳥しゃべらぬ朝にダイレクトメール凍って届く二月/穂村弘


この本の核はやはり、「構造図-衝撃と感動はどこからやってくるのか」*2と題された歌論の章でしょう。様々な歌が読解されています。
「身体という井戸」*3とか「宙(そら)の知恵の輪」*4とか、それ単体ではよくわからない表現が並んでいるのですけど、とてもストンと落ちるんですよね。この本を初めて読んだのはみょーにポエジーということを意識していた時期だったので、「嗚呼、これがポエヂーと謂ふものなのであらう」と似非旧仮名遣いで感じたものです。
ただ、今回この文章を書くために読み返してみたんですが、最初読んだ時とはずいぶん違った印象で、「とても論理的な文章だなぁ」と感じました。比喩表現になっているところもあんまり突飛な印象はないですしね。
…単に自分が慣れただけなのかもしれないけど…。
比喩表現はそうとしか表現できないからそう表現してるんだろうし、ポエジーを説明するのにポエジーな表現をするというのはある意味ではより深い解説がされているとも言えるし。
…そうか?…。

アトミック・ボムの爆心地点にてはだかで石鹼剥いている夜/穂村弘*5


前回とりあげた枡野さんが起こした「マスノ短歌インパクト」*6の爆風が非歌壇を中心に吹いたのに対し、「ホムラ短歌インパクト」*7の爆風は歌壇を中心に吹いたものだったのでしょう。それらの爆心地点近くの本達(『かんたん短歌』と『短歌という爆弾』)は、それぞれの読者を強烈に意識しつつ作られた本達だったんだろうな、と二冊を読み比べると思います。狙ったところへ爆風を吹かせられたんじゃないのかな、と。そういう意味でも、お二人の立ち位置と目に映してきた風景の違い*8と、才能の豊かさを感じます。
自分にとっては、どちらも全然リアルタイムじゃないし、歌壇がどういうところかなんて全然わかりませんけど、今自分が立っている地点からはどちらも同じようにとても高い価値を感じますの、マジで。風はきちんと吹いてきてます、多分。

つかまえてくれない人と帰りみち今日はルパンにさらわれたいよ/中村のり子


私が最初に読んだ短歌入門書は『短歌があるじゃないか。-一億人の短歌入門』でした。これは『短歌という爆弾』中の「ディスカッション 謎の同人誌『猫又』の歌を読む」*9という項の本編ともいうべき本の二巻目です。*10


「短歌をはじめたんでなにか読んで勉強したいんだけど、なにを読んで良いかわからない…」なんて方がいたら私はこの二冊を薦めます。「シロート作品」*11をプロがかなり丁寧に読み込んでいるので、とても参考になります。多分、口語も文語も関係なく参考になるはず。とくに「はじめました。」の方は角川文庫になっているので入手しやすい…はず…。

くちうつしのホールズ光る地下鉄の十色使いの路線図の前/穂村弘


『短歌という爆弾』では「設置法-短歌をいつ・どこで爆発させるか」*12という章において、以下のように述べられています。

「同じ種類の人間を求める本能的(?)な感覚をひとまずおくとしても、短歌に関して「仲間をみつける」ことは、より実質的な意味を持っている。
なかでも次の三点が確保されることが大きい。

①作品発表の場
②感想、批評、選歌、添削指導など作品に対するフィードバック
③短歌に関わる生身のコミュニケーション」*13

ネットで短歌をやっている私は、わりとマイナーな短歌誌にもネット短歌についての記事が載ってたりするのを見ると、「ネット短歌ってなんじゃらほい?」なんて考えたりします。たいがいネガティブな意見が多いんですけども…。
私は今のところ(ほぼ)ネット上でしか短歌に関わっていませんが、上記の①②③はどれもネットでやろうと思えばかなりのところまでできる実感があります。
①に関しては、短歌はネット向きの表現だと思います。データも文字だけだから軽いし、長文にならない分言いたいことも伝えやすいでしょう、読み手が飽きずに読んでくれるという意味で。
②に関してはモラルを守れば批評とか歌会とかもできます。…モラルというのが一番大変なんですけどね…。私はモバイル短歌(http://www.utaeru.net/mb/index.html)というサイトでずっとやってますし、チャットで歌会もたまにやってたりしてます。添削指導とかはなかなかむずかしいと思いますけども。
③はふつーに会って飲んだりしてます(笑)

ただやっぱり、ネットだけで短歌をやろうとしたときに一番問題なのは、そこに関わっている人達の歌以外の歌を知る機会があまりない、ということだと思います。具体的に言えば、歌集とか入門書とかの本の情報を得にくいこと。
私は、歌のスキルアップに一番重要なのは単純に「読む」ことだと思っています。そのためにはまず自分が知らない歌に辿り着かないといけない。読解とか感想とかはその次にやってくるものなので、まず辿り着くこと。上記の区分でいうと、②や③から得る情報ですね。
私はとてもラッキーなことに、短歌を始めてわりとすぐ「こんな本がおすすめ」とかいうことを発信してる方に出会えました。*14その方がよく(かな?)言って(書いて)いるのは、「初心者には短歌関係の本は入手しにくい。自分で短歌関係の本を入手できたらもう初心者じゃない。つまり、初心者が手に入れやすい本がない」ということ。初心者だからこそ、入門書とか歌集とか読みたいもんだ、と思うんですけどもね。
インターネットという情報の洪水の中で自分の欲しい情報を得るのはやっぱり大変。とくに短歌本なんて、ねぇ…。リアルに探すとしても、近所の本屋さんの棚には並んでないですもんねぇ…。短歌の歴史からして莫大な蓄積があるのにねぇ…。
別にスキルアップする必要性を感じない、というか、自分の思いを57577にのせられれば十分という人はたくさんいて、それは人それぞれで全然かまわないと思います。単純に「詠みたい」だけならそれでいい。*15そういうふところの深さもネット短歌、というか短歌そのものの魅力だと思うんですけどもね。
ネットというのは使い手にポンと投げられているツールなんで、使い方はその人次第でしょう。私は私なりにネットで短歌をすることを楽しみたいです。別に「こうじゃなきゃいけない」みたいな大層な考えは全然なくて、とりあえず短歌を楽しめれば環境は問わないし、どこだって楽しめるはずだってことで。結社とかに参加できる時間的余裕があまりなかったりもするし。
ネットで短歌してなかったら、穂村弘とか塚本邦雄なんて名前も一生知らずに過ごしたんだろうし、ネットもろくに使わなかったと思うなぁ…。今もそんなには使ってないけれど。

子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」/穂村弘


30歳なんていい大人になってから「世界を覆す」というほどではないにしても、自分のポエジーの欠片を「呪文」*16にのせてちょっとでも表現できるようになったことはとても幸せだなぁ、なんて思っています。まあ、とてもマイペースでですけど、そこがまたいいかな、と。私の歌にポエジーを感じる人がいるかどうかは別として(笑)

ということで、「短歌をはじめたわたしのために」メモっておこうと思ったことはとりあえず書けたかな。「あなたのために」なるかなぁ…。ならねえだろうなぁ…。

次回はまた懲りずに、とてつもない爆風を起こした(と思われる)サラダな方の入門書について書こうかな、と思ってます。

*1:以下、何も書いてなければ、注のp.xxは『短歌という爆弾-今すぐ歌人になりたいあなたのために-』のページ数です。

*2:pp.113-242

*3:p.187

*4:p.209

*5:表示の都合上ケイタイからはちゃんと表示できないようなのですが、「せっけんむいている」です

*6:造語です

*7:やはり造語です。もとネタはあのアニメね

*8:鉄コン筋クリート』ね

*9:pp.12-39

*10:下の方は一巻目の『短歌はプロに訊け!』の文庫版、『短歌はじめました。-百万人の短歌入門』です

*11:『はじめました。』のp.9

*12:pp.63-112

*13:pp.64-65

*14:ぶっちゃけこのブログの書き手の一人A.Iさんですが

*15:それでも良い歌を詠む人はいるし、どんどん上達していく人も確実にいる

*16:pp.243-253。「終章 世界を覆す呪文を求めて」