短歌日記(歌クテル活動再開によせて)

嫁にいくことにした。
まるでひとごとのようだが、どうやらひとごとではないらしい。
転勤族の旦那に連れられて、岩手県へ。奥州藤原の里やら奥の細道やら遠野やら啄木の聖地やらイーハトーブやらあり、文学的にもなかなかに深い土地である。
在任は3〜5年。転勤族の妻とは、旦那に連れられて西へ東へ、日本中いつどこに飛ばされるかわからない身分である。
平家物語でも読むかなぁ。


梅雨明けの空が高い。
川の近くに住居を定めた。


旦那は詩歌などまったく解さない朴念仁で、なんというか、いわゆる「まっとうな人」だ。
自分がまっとうな人でないので、相方はまっとうな人くらいがちょうどいい。
川沿いの道を、自転車にのって買い物へ行く。
そうやって日々はすぎていく。



耳と耳たぐませている 夏風邪の男に運ぶ餃子のスープ



短歌同人「歌クテル」の活動と、当ブログ「週刊 歌ってる?」は、1ヶ月間活動をおやすみさせてもらった。
活動休止の原因は、私の転居の件とは関係なく、もう少し散文的なことであった。
「人間関係のトラブル」と、端的にいってしまえばそうゆうことであるが、
醜い話だ。


モチベーションが保てないまま、同人活動を続けていくべきであるのか。
大きな転機としてとらえれば、この1ヶ月は自分たちの活動を見つめ直す、よい機会であったとは思う。
人間関係が原因で、関係者のどちらか、あるいは双方がコミュニティから追われてしまう事例を、私はいくつも見てきた。
それは、表現者として、とてももったいないことだと思う。
表現者が、聖人君子であれなどとは言わない。だいたいの文学者はダメ人間だ。石川啄木だってダメ人間だった。
そうじゃなくて、そうじゃなくて、
選択したのは自分だってことを、自覚してほしいだけ。



もう怖いものなどないわと嘯いてあなたが嗅がせてくれた三毛猫



私は歌クテルが好きだ。
背中を押してくれた人もいた。


まだまだ、やりたいことがあるって気づいたんだ。