君のためにできること

いつかって言わないでくれゆっくりと目の高さまで煙草をあげて ―加藤治郎


最近気がついたのだが、タバコを吸う男性と、私はなぜか縁がある。
ハタチを超えたぐらいから現在に至るまで、まともにお付き合いをしたり、好きになった男性は全員喫煙者だ。
でも私は一切タバコを吸わないし、タバコ自体を好きか嫌いかで聞かれたら、やっぱり「好きじゃない」と思う。
単に、相手に禁煙を無理に求めないだけだ。まあ、体のことを考えたら確実に止めた方がいいのは確かだろうけれど。
一人のときは禁煙席に座る。喫煙所の前も、自動販売機の前も当然素通り。そんな生活。おそらくこの先も、私がタバコを吸うことはないだろう。




タバコといえば今でもたまに思い出す出会いがある。
もう5年ぐらい前の話になるが、しばらく入院生活を送っていたことがある。
ほとんど俗世を離れた環境で、何にもない生活。あるのはゆったりと流れる時間だけ。
ただでさえ暇な上に、皆、手持ち無沙汰なのだろう。ひどく喫煙率が高く、深夜でも早朝でも、ガラス張りの小さな喫煙室から人が絶えることはなかった。


その中に一人、当時40代半ばになろうかという男性がいた。
私はその人から、約ひと月、彼が退院するまでの間、毎日毎日タバコを一箱ずつ贈られ続けたのだ。
かわいいピンク色の、いわゆる「女の子が吸うタバコ」・・・それを毎日。
でも、何度も繰り返すようだが私はタバコを吸わない。
もちろんその人にも「私はタバコを吸わないので、いただいても困ります」といい続けたのだが、


「いやでも・・・自分には他にあげられるものがないから」


必ず悲しそうにそう言われてしまい、静かに一箱のタバコを差し出してくれるのだ。
そうなると私もなかなか断りきれず、私の病室には日々ピンク色の山が積まれていった。
私が持っていても仕方がないので、同じ銘柄のタバコを吸う人にそのまま渡して・・・毎日がこの繰り返しだった。


一日一日、静かにその調子で過ぎていった。
タバコを渡すとき、その人はいつも何か言いたげだったことはよく覚えている。
(何か言いたいんだろうなぁ)
そう思うものの、かと言って「ではお話でも」という気にはなれず、ただお礼を言うのが精一杯だった。


ただそれだけの関係。その時以外は、ほとんど話したこともなかった。


かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど   ―石川啄木


それがある日突然、ふいに廊下で名前を叫ばれて呼び止められ、嵐のような勢いでとめどなく身の上話をされた。
聞けば退院が決まったとかで、恐らく気分がかなり開放的になっていたのだろう。
内容は自分の半生と闘病記。相当に重い話なのに、それをとんでもなく軽妙なテンションで話してくれた。
私はといえば、(これで言いたいことも言えて楽になれたのかなぁ)と思う気持ちと、
(この話の内容でこのノリはちょっとしんどいなぁ)と思う気持ちと半々で、でも数時間話を聞き続けた。


そして退院当日。挨拶に行った私に対し、その日もやはりテンションが高いままで、
「ああ!ありがとう!!そうだ、君に言いたいことがずっとあったんだよ!」と言い出し、
「君の事は○○さん(←看護師さん)と○○さん(←患者さん)の次に好きだったよ!3番目だったね!!」と堂々と言ってくれた。


3番目・・・。
いや別にいいんですけど。何も期待しちゃいないし。私も別になんとも思ってないし。
でも3番目かよ。そんなにハッキリ言わなくてもいいのでは。
『言ひそびれたる大切の言葉』は、その人にとっては身の上話じゃなくて、私は3番目だよということだったのか。
時には言いそびれたままの言葉があったほうが、いいのかもしれない。


ただ、そのときも私の手の中には、貰ったばかりの小さなタバコがあって、
その優しいピンク色がいつもよりも鮮やかに、きらきらと感じられたことを覚えている。


過ぎ去った時間の紡ぎ目が閉じていき優しい色が二人を染めて ―成宮たまき