北上川へ向かう支度をして眠る2006年9月1日
9月ですねぇ。
暦の上ではもうとっくに秋なのだろうけど、やっぱり9月にならないと、秋が来た、という感じはしない。8月はやたらと暑かったし。毎年楽しみにしているキリンビールの秋味を飲んでも、コオロギが鳴くようになっても、9月にならないとなんとなく秋じゃない。9月になっちゃうと否応なく秋なのだけれど。
そんなわけで、去年の秋の始まりの日、9月1日ってなにしてたっけ?と考えてたら、こんな連作を書いたのを思い出しました。
【かっぱのかわ】小春川英夫*1
久々に河童に会ってみたくなり逃げ水を追って、追われていく旅
逃げ水はアスファルトから照り返す夏のあがき 九月二日
ウニは身を悶える テレビは笑う 海の匂いが濃すぎる浜の夕食
川は深い青しかうつさない山の懐の深い緑の中で
平らかにビルの広がるジャングルに名の有る川を越えて帰るよ
月曜の人が流れていく街は思いのほかにアナログでした
夜に降る雨に都会のカッパ達はいらだちを隠さずに走る
うーん、イカンなこれは(苦笑)
ただ、この連作に限らず、自分にとって短歌は日記というかスナップ写真のようなもので、何があったか、だけでなく、そのときの感情も思い起こさせてくれる記録であり、そういうのを後から読んで思い出すための手段です。ここに挙げた紀行詠*2(なんですよ、一応)に限らず。
歌には詠まなかったことも、この連作がなんでイカンものになったのかってことも含めて、去年の9月の頭頃はあんな気持ちだったんだよなぁ、なんて思い出します。
そういう記憶の再生は、自分にしかできないもので、他人にはわかりっこない。それは表現だとかなんだとかとしてはどうなのかとも思うけれど、そういうのが自分にとっては短歌を詠むきっかけだったな、なんてことをこの連作を読んであらためて思い出しました。そして、そういう動機だけで短歌を詠んでいけるな、とも。
短歌を詠む動機はそれだけじゃなくなってるんだけれども、私にとってはやっぱり、自分の気持ちを自分に分かるように記録したり整理したりしておくには短歌がちょうどいいな、なんて思うのです。
定型があるから言わなきゃいけないことがあって、定型があるから言わなくていいこともあって、575にさらに77があるからすごく気持ちが乗っかってみたりして、破調もできたりして…。しかもたまにはそれが他人に伝わったりするわけで。
…まあ、そんなことをつらつら思ってきりがないしまとまらないついでに、8月の暑さと7月の寒さを思い出したり、ずっと短歌を詠んだり読んだりしていきたいな、なんて記した2007年9月1日、秋の始まりの日でございます。
あと、夏の終わりの日、8月31日には、こんな本を買ったことと、題詠blog2007(http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2007/)を完走したこともついでに。
- 作者: 國文學編集部
- 出版社/メーカー: 學燈社
- 発売日: 2007/06/01
- メディア: 単行本
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