カフェ ボヘミア
返さなければならない本があったので、僕たちは一緒に住んでいたアパートに近い駅前の喫茶店に待ち合わせをした。
九月のはじめの光はまぶしいのに熱がない。
駅前のロータリーでは同じ車が秋の光を浴びながらぐるぐると回っている。急行の止まらない昼下がりの駅前を僕たちはテレビでも見るように眺めている。
やがてウエイトレスがコーヒーを二杯運んでくる。
それはとてもていねいな仕草でテーブルに置かれる。
一礼してウエイトレスはイルカが海に潜るようにして静かに去って行った。
彼女の指がシュガーポットへ伸びる。
「先にもらうわ」
彼女はうなずくと、ゆっくりとコーヒーに砂糖を六杯入れる。
そして傘を引きずるようにしてかき混ぜはじめる。
僕は驚いて彼女の顔を見つめる。
「そんなに?」
「知らなかったのね」
「知らなかったよ」
「・・ようするに」
「ああ・・・」
「ようするにこういうことだったのよ、私たち」
やがて僕らは古い観覧車が回るみたいにゆっくりと笑い合った。
それから僕たちは保険のことや、僕が引き取った猫のことなどを語り合った。
スターバックスが日本にできるすこし前の話。
観覧車昇るよきみはストローをくわえて僕は氷を噛んで 穂村弘