那覇の茄子

何年かまえの晩夏、沖縄を旅行していた。離島から那覇に戻り、帰るまでの2日間を過ごした。
蒸し暑い真昼の国際通りドトールでアイスコーヒーを飲みつつ僕はうんざりしていた。
なぜたどり着けないのか…。僕はかれこれ二時間ほど沖縄シャツの店を探して国際通り周辺をさまよっていた。そのタウン誌によれば店は国際通りのすぐ裏通りにあるはずなのである。しかし店と思われる場所は空き地で周りはさびれた床屋や貧弱な小さな雑居ビルばかりである。道はでこぼこだし人はほとんど歩いていない。まるでうる星やつらビューティフルドリーマーの世界に迷いこんだ気がする。何度歩いても店はわからない。こうして弾き出されるように疲れた僕は国際通りドトールに退避したのだった。

…まあせっかくですし最後にもう一度探そう。僕は崖から海へ思い切ってダイブするように炎天の通りへ飛び出した…がやっぱり見つからない。へとへとだしお腹空いたし地図はテキトーで当てにならないし電話に出ないし、トホホな僕はいつの間にか食堂を探していた。
ふと目を上げると食堂とのれんの掛かった古い一軒家が反対側に見えた。戦後すぐに建てられたようであまりよい普請ではなかったのか、でなんとなくやや右に傾いている。木造平屋ではなく二階建てというのが沖縄では珍しい。
ふらふらとのれんをくぐると中は六畳ほどでテーブルが2つとカウンターがあり、奥のテーブルでおじさんがコーヒーを飲んでいた。…ぼうっと僕がたってるとおじさんが、ここは茄子が旨いよ茄子がと言う。…茄子ですか。僕はとりあえず入り口の方のテーブルに座り、改めて店内を見回してみた。メニューの札は壁に貼られていない。お品書きも置いていない。失敗したかな、と思う。
茄子って野菜の名前そのままだよなあ。いったいなにが出てくるのか?天ぷら、フライ、炒めもの、煮物?まあいまはクーラーの心地よさに身を委ねよう…。

やがてカウンター横の勝手口がぎぎっと開き二人の老女が入ってきた。姉妹のようでいて微妙に顔が違う気もする。二人とも割烹着を着ているからか?双子も年老えば違いが出るのか?不思議だ。
茄子だってよ、おじさんは二人に声をかけてくれた。すると二人は頷き再び勝手口を出ていった。おじさんに感謝しつつもどうも気まずいな、と思いつつ衛星放送が流れているテレビを見上げて見ていた。ここまでで多分二十分くらいたっていたような。

どれほどたったか二人の老女が戻ってきた。一人が丸茄子の入ったザルを抱えている。市場で買ってきたのか?畑から採ってきたのか?とにかくスローだ。

やがて二人はじゃかじゃかと料理をはじめたようだ。狭いカウンターを効率的に手際よい動き。この店って…案外って思っていると、お待ちどうさまと老女が膳を運んでくる。吸い物、香の物、そして平皿に盛られた皮を剥かれた翡翠色の茄子の味噌煮。ふ〜ん、なるほどねえ。わりといいんじゃない、僕は茄子を一口はふりと食べた。

こっこれは、旨いよ非常に旨い!僕はおじさんを見た。背中を向けて新聞を読んでいるおじさんはどことなく、ふふんっどうだいっと言っている気がする。今まで食べた茄子の味噌煮の中で最高だ!茄子好き、茄子味噌煮好きの僕にはよく分かる。

この味噌煮の味わいは何だろう?しつこくないのにあきのこないコクがある。ラードを使っているのか?出し汁は豚の茹で汁を使っていれのか?カツオ出しも入っている気がする。味噌はやや甘めに淡白な仕上げだ。沖縄の白味噌と何か別の味噌を合わせたのか?ああ、いくらでも腹に入ります!凄い…僕はどことなく被虐的に気持ちで茄子を食べつくした。茄子…。茄子…。甘美な丸い物体。

満足して店を出た僕は当初の目的をすっかり忘れて宿に昼寝をするために戻った。

翌年の夏に再び僕は沖縄を旅行した。最終日、僕はこの当たりをうろついていた。沖縄シャツの店、ではなくあの茄子の店である。しかし…いくら探しても見つからなかった。そうだろうな…僕は手頃な食堂で旨くもない沖縄そばを食べて宿に戻った。その人に与えられるものはその人が望んだもの。僕の幸せになることを恐れてすり抜けることを望む臆病な願望はこんな風にわかりやすく叶えられるのだった。

ゆきたくて誰もゆけない夏の野のソーダ・ファウンテンにあるレダの靴 塚本邦雄