春の虫

恋人でない人とあるようなないような待ち合わせをして、行く当てもなく夜の公園巡りをした。
電車の多い、ちいさな街だ。
どこへ行っても電車の音が消えない。
ふたつめの公園はモノレールの音が規則的にするところだった。
そしてまた同時に
季節はずれの虫かあるいは壊れかけの電気が音を鳴らしていた。
じじ、じ、じじじ、


「一緒にいれるとこ」
彼がいうあたしの好きなところだという。
じじ、じじじ、じじ、
確かにいま、誰よりも長い時間を過ごしている。
彼の言うことはひどく正しいように思えた。
あたしはと言うと、思わず好きなところなんて答えられなかった。
もっとどうでもいい、あなたの仕種がすきだ
じ、じ、じじじ
とか言ったら今度から妙に意識されそうでそんなのもうその仕種にときめくことができなくなる。
  オレンジに濡れる指先迷ひつつ選ぶ行方を助手席で見ゆ(市川ナツ)


じじ、じじじじ、じ、
焦っているわけではないと思う。
おそらく彼にしてもあたしにしても、あまりにいつかがありすぎる。
そうしてこんなにも”当たり前”を積み重ねていったとして、仮にいつかの日が来てしまうとして、どこへ行けばいいのだろう。


その公園の近く、交差点でキスをして別れた。
ちょっと情熱的なキスだった。
あたしはひとりモノレールの線路の下を通って家路についた。
彼もまたひとりモノレールの線路の下を通って家まで歩くのだろう。
モノレールの走る音は有り得ないくらいスムーズで、電車とは違う乗り物なんだってことにいい加減気付いた。


その晩、あたしの部屋ではあの音が聴こえ
じじ、じじじ、じ、じじ
直後、虫がどこか遠くへ飛んで行くのが見えた。
ああこれはもう恋にはなれないね
あたしじゃない何かが呟いた。
もうこんなに迷い込んでいたら仕方ないよね
また別のあたしじゃない何かが答えた。
  あいみたい 突然の空に覆われて隠しきれない踝に雨(市川ナツ)